大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和37年(う)43号 判決

控訴人 検察官検事 鎌田亘

被告人 島田次郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、旭川地方検察庁検察官検事鎌田亘作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人小谷欣一提出の答弁書に記載のとおりであるから、いずれもここに引用する。

右控訴趣意のうち法令の解釈適用の誤について

そこで按ずるに、少年法第一九条にいう審判不開始決定は、司法機関である家庭裁判所が、その調査という審理方法の結果にもとずいて、審判に付することができない場合、または審判に付するのが相当でない場合、すなわち、審判条件あるいは非行事実の存在が認められない場合、または審判条件および非行事実の存在は認められるが、要保護性、福祉的措置相当性および刑事処分相当性のいずれも認められない場合に、審判手続を開始することなしに事件を終結させる裁判であり、かつ、この決定に対しては不服の申立が許されていないのであるから、審判不開始決定が少年の死亡、長期所在不明、長期疾病等その他審判条件不存在のため単に事件を終結する形式としての意義しか有しない場合は格別、いやしくも、非行事実が罪とならずとかまたは罪とはなつても事案軽微というような実体的事由から審判に付することができず、または審判に付するのが相当でないと判断されたことにもとづいている場合には、その決定があつた事実については一事不再理の効力が認められることは否定し得ない。この点では少年法二四条にいう保護処分決定についてのそれと本質を異にするものではない。これを刑事訴追の可否にのみかぎつて考えてみると、少年法二〇条によつて、検察官は家庭裁判所から刑事処分相当として逆送された事実についてのみしか公訴提起をなし得ないのであり、審判不開始決定のなされた事実については、少くともその少年が成人に達するまでの間は刑事訴追をなし得ないことは明らかである。このかぎりにおいて、少年は当該非行事実に対する不安から解放され、更生への意欲も新たにせられ、ひいては少年の保護ないし健全な育成に実効を期待し得る所以ともなる。かようにして、少年時代に妥当していた審判不開始決定が成人に達したというだけのゆえをもつて、直ちに裁判の効力を失うものとして、その実体的判断のなされた同一事実について後日検察官においていつでも刑事訴追をなし得るものとすることは、審判不開始決定には保護処分決定とは異なり少年法四六条のような規定がないという形式的理由からだけではいかにも不合理であり、かつまた、一旦なされた家庭裁判所の終局裁判に対する権威を失墜し、さらには法的安全を著しく紊るという結果を招来するものであり、それはまた憲法三九条の趣旨から鑑みても、好ましいことではない。かようにみてくると、家庭裁判所が少年の非行事実に対する実体的判断を経て審判不開始決定をなしている場合には、少年が成年に達したからといつて、右事実については、もはや刑事訴追をなし得ないものと解すべきである。されば、原判決がこの点に関し右と同一の見解のもとに詳細な説示を加えて所論公訴事実を免訴したのは相当であつて、当裁判所としても左袒せざるを得ない。これと異なる見地に立つての所論はにわかに首肯し難く、その引用の判例も本件には適切でないので採用しない。

同量刑不当の点について

本件記録にあらわれた本件過失の態様、被害の程度からすると、犯情軽からぬものがあるのではあるが、被告人としては、当然とはいえ、直ちに本件被害者に対する救護の措置をなし、上司にはその報告もしており、されば、上司を通して治療費その他ま慰藉もなされていて、被告人が本件について必ずしも悔悟の念を有しないものとはいえず、また、被告人には所論道路交通関係法規違反の非行歴があるとしても、これをもつて直ちに常習的のものともなし難く、しかも、被告人が免訴となつた事実の審理のため原審公判廷に多数回にわたつて出頭し、事実上相当な苦痛を受けていることも等閑視し得ないこと、その他諸般の事情を総合すると、前記犯情を考慮に容れても、被告人に対する原判決の科刑は、いまここで変更しなければならない程不当に軽いとは認められない。

よつて、論旨はすべて理由がないと認め、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢部孝 裁判官 中村義正 裁判官 萩原太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例